思い出

2017年3月 7日 (火)

OAナガシマのおっさんの話(Visual Studio 20周年記念)

Visual Studioは今年で20周年だそうで、 #MyVSStory などというハッシュタグもできていました。

おおっと思ったので、こんなことを書きました。

で、OAナガシマのおっさんのことをちょっと思い出したので、書き残しておこうかなと思います。 実はそんなによく知らないし、 人柄を表すようなエピソードとかも無いんだけど、 大昔、おっさんを店頭で見かけていた頃の話。

OAナガシマとは

私が沼津に来たのは90年代始めの頃です。 地元の人に「沼津のパソコンショップならここ」と教えてもらったのがOAナガシマでした。 「OAナガシマ」という店名からして、 OA事務機器屋が出自なのでしょう。 (そういえば、当時DOS/V雑誌に怪しげな広告を載せていた「大西ジム」も高砂の商店街の文房具屋(ジム = 事務)でした。何回か行ったことある。今検索したら、まだ元気でやっているらしい)

その頃の店は沢田のバイパス沿いにあり、まあ、いわゆるDOS/Vショップでした。 世界的には、ちょうどPC/AT互換機上でWindowsがブレイクした頃です。 日本ではNECやら富士通やら東芝やらが独自規格のパソコンを出しており、 それらは結局PC/AT互換(いわゆる「DOS/V機」)になっていくのですが、 その時点ではDOS/Vはまだ立ち上がりかけの頃でした。 Windowsが盛り上がっており、海外で面白そうな機器やソフトが出るのに、 日本は独自規格のせいでなかなか利用できない。 Windows 3.1とか、USで発売されてから国内発売されるまで1年以上かかったなあ。 各社版の対応に手間取っている、とかの噂でした(本当かどうかは知らない)。 「鎖国状態」とか言われたりしてましたね。今ならガラパゴスか。 お好きな方はPC/AT互換機を個人輸入したりしてましたが、 そういう「DOS/V」世界の窓口がDOS/Vショップでした。 秋葉原ならたくさん店もあるんでしょうが、 地方なもんで、 近所にOAナガシマがあるのはとてもありがたかった。

なんか、DR-DOS買ったこととか思い出した。 冷やかしのつもりで店番してたおっさんに声をかけたら、 勢いに乗せられて気づいたら買ってて、 しばらくDR-DOS使ってたよ。

さて、時は1992年

Windowsはまだ16-bitの3.xの時代。 ちょうどアメリカでVisual Basic 1.0(これがまたちょっとした衝撃だった)が出た翌年。 私は「某言語でVisual Basicみたいのを作ろう」というプロジェクトに配属されました。 当時のWindows開発環境は、コマンドラインベースのMicrosoft C 6.0 + Windows SDK。 デバッガ(Code View)はこんな感じ。 (Microsoftのフォーラムの質問にCode Viewの画面イメージがあったので引用)

Code Viewの画面

せっかくWindowsがGUIを導入したのに、開発環境はキャラクタベースです。 ついでに言うと、会社支給のパソコンはFMRという独自規格。 それに富士通が出しているFMR用のDOSとWindowsとWindows SDKを入れて頑張るわけです。 (ちなみに、富士通の「DOS/V機」であるFMVは翌年秋の発売でした)

そんな中、 このプロジェクトが調査用に購入していたソフトウェアの中にQuick C for Windowsがあって、 これを動かしてみて私は衝撃を受けました。 フルGUIだし、「統合」されていて、ビルドからデバッグまでその上ですべてできる。 Windowsが普及し始めたころで、当時はWebとかもまだ広がってないためググるわけにもいかず、 Petzold本とかを頼りにプログラムを書いて色々挙動を確認するんですが、 この「ちょっと書いて動かしてデバッガで状況を見る」ということがGUI上で一目瞭然にストレスなくがんがん回せる。 生産性、という言葉では気が済まない、なにかパラダイムシフトのようなものが頭の中で起こりました。 目から鱗。

巧みな操作で計算機リソースを効率的に使う、 というのがスマートだと思っていました(まわりの達人的な人はほとんど共用ワークステーションとかにぶら下がってたし)。 しかし、考えたらこれは「パーソナル」なコンピュータなので、 CPUを自分の都合のためにぶん回すのは大正義である、 いや、自分が仕事を遂行するためにぶんぶんぶん回すべきである。 能天気にカーソルキー押しっぱなしてスクロールするのはCPUを無駄に使う頭悪そうなやり方だけど、 それで簡単に目的の場所に行けるならいいじゃないか。 「パーソナル」用機械を好きに使ってさっさと仕事しろよ、ということに思い至ったのでした。

人によってはVisual Basicが目から鱗だったりするようですが、 私はQuick C for Windowsだったなあ(いやまあ、Visual Basicも凄かったけど)。

ということで、 同じく調査用に海外から購入してたGateway 2000のマシン(鉄の筐体、純白の4DX2-66V)を占有し、 DOS/VとWindowsを入れ、Quick Cでごりごりプログラムを書いていました。

そんなこんなしているうちに

アメリカでVisual C++ 1.0が出ました。 「むっちゃ欲しい」と思うわけです。 IDEも進化しているみたいだし、CもC++になっているし。 でも日本では発売していない。

で、とある日曜日にOAナガシマに行ったら、 なんということでしょう。 置いてあるんですね。 でかい箱がでーんと置いてある。 おっさん、どこからモノを引っ張ってきたんだと思いました。 しかも、US価格から想定した値段よりかなり安い。 バッタもんじゃなかろうかとも疑ってまじまじと見てみましたが、どう見ても本物。 結局買いました。 両手でないと持てない大きさで、重かった。 開けてみると、中にはみっしりとWindows APIのマニュアルが入ってた。

当時の写真を探したら、箱が写っているものが一枚ありました。 あまりに部屋が乱雑で全景を出すのはアレなので、一部切り出しますが、箱の奥行をお察しください。

Visual C++の箱

探してみたら、フロッピーディスクまだありましたよ。

Visual C++のインストールフロッピーディスク

安かった理由は謎です。 仕入れ経路で誰か何か間違えてたか。 実はアップグレード版か何かだったりして。

ともかく、 Visual C++というアイテムを手に入れた私は絶好調でぶいぶいいわせながら開発したのでした。 当時まだ私物ソフトの使用禁止とかルール化される前でしたね。 まあ、仕上げには会社設備のMSCでコンパイルするようにはしてたけど。

その後

Visual C++はVisual Basicと統合されてVisual Studioになりました。

一方、 OAナガシマの方は、どんどん店が増えていきました。 本店は沢田から今ある大諏訪に移り、 ZOAという名前で静岡県以外にも店を出すようになりました。 今の正式な社名は「株式会社ZOA」のようですね。 その頃にはもうおっさんを店頭で見ることはなくなりました。 そういえば、Windows 2000の発表時には、 マイクロソフトの発表資料に他のメーカーやショップに並んで、 おっさんのコメントが載っていたなあ。 今検索して探し出したプレスリリースには社名しか出ていないけど、 当時のリリースではこのコメントがおっさんの名前入りで出てて、Webニュース経由で見てのけぞった記憶がある。

そして、一、二年前、 店の営業時間を確認するためにOAナガシマのサイトを見に行って、 間違って「会社概要」を開いてしまったら、 代表者の名前がおっさんじゃなくなっていました。 引退したのかな、とも思ったのですが、 気になったのでIRを見てみたら、 2013年の夏におっさんが亡くなったとの知らせが出ていました。

昔の沢田の店も、 去年更地になり、 ポルシェの店になりました。

その頃(もう四半世紀前)からすると、 PCをめぐる状況も、 OSやソフトや開発環境のあり方もずいぶん変わりました。 一方、その頃作っていたそのソフトは、 幸運にも気に入ってくれた人が結構おり、 バージョンを重ね、 まだ稼働しているものもあります。 ソフトウェアが世に出るのはいろんな人の仕事やら偶然やらが積み重なった結果なのですが、 あのソフトには「おっさんがVisual C++をどっかから引っ張ってきてくれた」という要素も入っているのです。

ということで、 おっさんのご冥福をお祈りします。 と同時に、Visual Studio 20周年おめでとうございます。

2016年9月 4日 (日)

シアトルの宇和島屋とわたくし

この夏、八幡浜へ帰省して(「帰省メモ:宇和海と八幡浜のこと」)、 ちょっと思い出したことがあったので書き留めてみます。 シアトルにある宇和島屋というスーパーの話。 大した話じゃないけど。

2000年代、開発していたソフトウェアの関係で、私はしばしばMicrosoft本社に出張に行ってました。 Microsoft本社はシアトル郊外のレッドモンドにあります。 最初の出張は確か直前に同時多発テロが発生し、 会社の渡航中止命令が出てキャンセルになった覚えがあるから、 あれはその翌年だったかなあ。 初めてMicrosoftキャンパスに行き、 近くに取ったホテルの周りを散歩していたら、 交差点の角にUwajimaya(宇和島屋)というスーパーがありました。 宇和島といえば私の生まれた八幡浜の南にある町で、 私の原点である「急行うわじま」の名前の由来の町です。

何やこれは、と思って入ってみたところ、 まあ普通のスーパーでした。 醤油とかお菓子とかで日本物の品ぞろえがありました。 あと、小さな日本グッズコーナーがあったような気がする。

ホテルへ帰った後、WebでUwajimayaのページを見てみました。 本店はシアトルにあり、私が行ったのはベルビュー店のようです。 会社の歴史を見てみると、 予期した通り日系の人が開いた店でしたが、 その創業者(森口富士松)は八幡浜生まれの人でした。

The Whole Story (Uwajimaya)

単身レッドモンドにやってきて、 「あんたらの言うてることと実際の動きが違うやんけー」とかカタコト英語でやりとりして、 きっついなーとか思いながら歩いていて出くわしたものが同じ町生まれの人が異郷に開いた店で、 「縁やのう」と思ったのでした。 まあ、それだけの話なんですけどね。

八幡浜は今でこそ過疎化が進む地方都市ですが、 商業が盛んだった時期があるようです。 思い出してみれば、 祖父母の世代には結構ハイカラな人が多かったような。 城下町だった大洲や宇和島と比べて、 八幡浜はもともと漁港だったせいか、 さばけて外向きな気風があったように思います。

祖父の姉もシアトルに移住していました。 戦中、収容所に入れられて戦後日本に引き上げてきました。 この人もハイカラな人でしたが、 収容所の話は一切しなかったといいます。 上記の宇和島屋の歴史にも収容所のことがさらりと書かれてますね。 色々歴史あり。

最初のレッドモンド出張後、 しばらくして宇和島屋の創業者の奥さん(Sadakoさん)が亡くなったという知らせを何かで見かけました。 上記の歴史によればこれは2002年夏とのことなので、 やはりあれは2002年前半かな。 八幡浜世代が生きている間にその土地に行ったのかと思い、 ちょっとした感慨をもった覚えがあります。 いや、まったく面識とかないのですが。

これを書くにあたってちょっと検索してみたら、 今は日本語のWikipediaにも項目ができていました。 これを読むと、結構有名なのか。

宇和島屋 (Wikipedia)

あと、私が行ったベルビュー店は移転したのかな。 今検索したら、ベルビュー店はベルビューのダウンタウン近くになっているけど、 私が行ったときはMicrosoftキャンパスの少し南にあった。

2016年8月30日 (火)

帰省メモ:宇和海と八幡浜のこと

前回(「帰省メモ:伊予灘のこと」)の続き。

伊予灘側から山を越えて宇和海側に出ると、 こちらは一転リアス式海岸です。 こんな感じで向こう岸まで泳いで渡れるような湾が延々と続きます。

宇和海

今は知りませんが、 私の子供の頃はこのリアス式の湾の中をポンポン船が行き交っていました。 曲がりくねった湾に沿って細い道をぐねぐね進むより、 船で湾を横切った方が手っ取り早い。

私の父方の祖父もポンポン船を乗り回していました。 ある時、私と弟を連れて三瓶の町に行った時の事。 町に船で乗りつけ、私たちを船に残したまま用事に出かけたら、 ロープがほどけて私たちが流されてしまったことがあります。 船の上で私らがあわてていると、 ポンポン船で同じように入ってきたおっちゃんが、 笑いながら「なんや、流されとるがか」とロープを拾って引っ張って戻してくれました。 そういう世界。

そんな地域柄のせいか、 Googleマップのこの辺り(三瓶-明浜)には、 ストリートビューに加えて「ポンポン船ビュー」があります。 このように、ストリートビューのルートが海の上にもあります。 明らかに、「Googleポンポン船」が沿岸を走っています。

ポンポン船ビュー

Google マップで愛媛県西予市三瓶町周辺のストリートビューのルート表示

先ほどの写真の場所をポンポン船ビューで海側から見れば、 こうなります

この対岸を宇和島自動車バスが走っていくのが見えるのは40年前と変わらない光景です。 このあたりのバス路線は宇和島自動車の領域です。 この「宇和島バス」ではなく「宇和島*自動車*」といかつく呼ばせる名前が子供心に響いていました。

このバス、 湾沿いのぐねぐね道を走っていきます。 今はかなり整備されてきていますが、 当時の道は細く、海側にもガードレールなどあまりありませんでした。 車の行き違いがあると、 バスはこのガードレールがない海側のぎりぎりに寄せます。 本当に信じられないくらいぎりぎりに寄せます。 車窓から覗き込んでも、 下に道路の端が見えていません。 目の下そのまま海です。 これが子供の頃、本当に恐ろしかった。 三瓶から八幡浜までの海回り約一時間は恐怖の区間だった。

「宇和島自動車」といういかつい響きと、 この恐怖体験のため、 宇和島自動車バスは私の中ではとても強面の存在です。

今の宇和島自動車の路線図を見ると、 今はもう、八幡浜から三瓶までの完全な海回り路線はなく、 トンネル経由での八幡浜-周木路線、海回りは八幡浜から穴井止まりの路線に分割されていますね。 リアス式は、山側をトンネルでぶち抜いてしまえば、 湾の奥の町から町へは比較的簡単に行けるようになります。

余談ですが、 世の中には宇和島自動車のファンの方のページもあるようです。 (2005年から更新されていないようですが)

宇和島自動車ファン

このページを見ていて思い出しました。 昔の宇和島自動車バスの行先表示って、 毛筆体で書かれていました。 こんな感じ。

昔の宇和島自動車バス

宇和島自動車ファン」の「懐かしい写真」から

強面です。

さて、八幡浜。 私の生まれた町です。 八幡浜に来るのは六年ぶりです。 そのときは母方の祖母の葬式に慌ただしく来て帰っただけなので、 まともに滞在するのは十年ぶりくらいですか。 色々変わっています。

まず、 フェリー乗り場の横に小綺麗な道の駅ができていました。 で、道の駅と魚市場をつなげ、 魚市場から道の駅に店を出しています。 道の駅からは向かいの権現山のてっぺんまで続くみかん畑の眺めがよい。

道の駅から権現山

重要な動線であるフェリー乗り場の横にこれを作ったのは、 なるほどなあ、と思いました。 逆に駅周辺は少し寂しくなったかな。 ショッパーズ(旧ダイエー、その前はイズミだったっけ?)は更地になってたし。

港周辺は他にも色々できています。 ショッピングモール(フジグラン北浜)ができているし(おかげで24時間駐車可だった北浜駐車場がショッピングモールの駐車場になっていて、車の置き場所に困った)、 モール泉なるもの掘り当てて、温泉施設がちょうど数日前にオープンしているし。 市立病院も建てかえているようだし。 しばらく来なかった間、 ばあちゃんも亡くなって八幡浜の家も空き家になってしまったし、 自分の中では過疎の最終段階のように思ってしまっていたけど、 いろいろ動きがあるし、子供も結構いるし、 色々がんばっていることが分かってうれしかったです。 家は空き家になっているのに、 どんどん便利になってるよ。 その空き家に泊まって、 例の温泉にも入ってきました。 触れ込み通り、本当に黒っぽい湯でした。

ところで、 魚市場でうちわえびを見かけました。 この写真のカブトガニみたいなやつ。

うちわえび

これ、 シンプルに塩ゆでにしたら最高にうまいんだけど、 うちは私と次女しかエビを食べないし、 スケジュール的に持ち帰り難しかったから諦めた。 でもやっぱり、クール宅急便で沼津まで送ってもらえばよかったかなあ。

まあ、おとなしく、 削りかまぼこ(ごはんにかけるとうまい)と吉見菓子舗のしぐれようかんを買って帰ってきました。

なんか八幡浜はちゃんぽん推しらしいのだが、 子供の頃は別にちゃんぽんやってなかったよなあ。 最近?

そういえば、南予博やってたんだっけ?

おまけとして写真二つ。 八幡浜市街の港と、 郊外の海岸(真網代のあたりだったっけな)から佐田岬方面の眺め。

港

佐田岬方面

2016年4月17日 (日)

我が家におけるWindows Home Server興亡記

この4月12日でWindows Home Server 2011のサポートが終了しました。 この製品ラインは後続バージョンが出ていませんので、 これで終息ということになります。 公式には、移行先はWindows Server Essentialsということになるのかな。 Windows Server Essentialsを「家庭用」に直接使うのはちょっときついけど。

で、まあ、 「あー」と遠い目などしていたところ、 以下のツイートが。

> マイクロソフトの絵本「ママ、なぜおうちにサーバーがあるの?」

なにこの絵本…?!Σ(・□・;)
最近はマイクロソフトはクラウドに力を入れてるから、この絵本は古い内容になだていそう。

https://t.co/hzfgbZMsjR

ちょまど@MS入社しました (@chomado) 2016年4月15日

最近の若い人はもう知らないかねえ(よぼよぼ)、 という気分なのですが、 折しも熊本の地震の様子を見つつ、 阪神淡路大震災や東日本大震災のことを思い出したりして、 たいした話で無くとも体験したことはどっかに書き残す方がいいのかなあ、 という気になったので、 書いてみます。

Windows Home Serverとは

Windows Home Server(WHS)はMicrosoftが提供していた家庭/SOHO向けのサーバーOSです。 USでのリリース時期は以下の通り。

  • 初代(Windows Server 2003 R2ベース): 2007年夏
  • 2011(Windows Server 2008 R2ベース): 2011年春

USでは、HPが最初の頃からWHSマシンを出してました。 コンパクト(当時基準)なマシンがテーブルの端とかにのっかっているイメージ写真を見て、 「おおっ」などと思ったわけです。 今HPのサイトを探してもその写真はもう無いようなので、 検索したところ、 「そうそう、そんな感じ」という写真を見つけました。

HP EX470が本棚に置かれている写真

誰の写真だろうと思ったら、Scott Hanselmanじゃないですか。 2007年12月8日のBlog

主な機能は、

  • ファイルサーバー
  • クライアントPCからの自動バックアップ
  • リモートからの家庭内ネットワークに対する窓口

ですかね。

例によってなかなか日本に来てくれなかった

で、発表直後から「これ欲しいなあ」と思っていたのですが、 なかなか日本語版が出る気配が見えず、 じりじりしていました。 一時は英語版でシステム組もうかと検討していました。 なんでそうしなかったんだっけな。 なにか理由があったような気がしたけど、忘れた。 ともかく、日本語版が発売されたのは一年あまり後の2008年の8月30日でした。

この前後の期間、 マイクロソフトでWHSを担当していたのは林憲一さんという方でした。 その当時のマイクロソフトのカンファレンスや展示会でWHSを説明してらして、 私もそういう場で話を聞き、 冒頭のツイートの「ママ、どうしておうちにサーバーがあるの?」日本語版冊子をもらいました。 今でもどこかにあるはず。 私的にはこの冊子は結構うけたんですけど、 家に帰って妻に見せたら「意味わかんない」的な反応をされました。 まあ、その妻もその後WHSを(本人はあまり意識すること無く)使うことになるわけですが。

林さんは、 最近GPU関係でお名前を見かけたような気がするな、 と思って検索したら、 今はNVIDIAの偉い人っぽい。

日本語版WHSリリースに合わせて、 いくつかのメーカーがマシンを発表したのですが、 ほとんどのモデルのCPUがAtomでした。 ちょうどAtomの出始めというタイミングのせいだったのでしょうが、 私は省電力性よりも動画とかを家庭内に配信できるサーバーが欲しかったので、 なんか思てたんと違うなあ、と。

というわけで、自力でサーバーを組む

というわけで、 サーバーを組み立てることにしました。

各社の使えそうなマシンを物色したところ、 日本HPの法人向け直販サイトがProLiant ML110 G5を キャンペーン価格(2万円くらい)で販売していたので、それを購入。 別途ハードディスクとWHSのDSP版を買い、 ホームサーバーを組み立てました。

インストールとかで苦労した記憶はないなあ。 覚えていないだけかも。

ProLiantは一般的なタワー型筐体なので、 先にあげた写真のようにコンパクトにはなりませんが、 まあ、仕方ないね。 あと、 サーバー用マシンにはよくあることですが、 起動直後しばらくの間ファンが全力で回り、 かなり騒がしくなります。 Windows Updateの日とか、 真夜中に自動的に再起動がかかり、 マシンが突然唸りだしてびっくりする。

使ってみて

うちではWHSをクライアントPCの自動バックアップと ファイルサーバ(メディアサーバーを兼ねる)目的で使っていました。

PCのバックアップは便利だったなあ。 各PCにエージェントを仕込んでおくと、 毎日夜中に自動的にスリープを解除してバックアップを行います。 バックアップは毎日取りますが、 日ごとのもの月ごとのものそれぞれに保存する世代数を指定します。 デイリー過去3日分、マンスリー過去6ヶ月分、とか。 古くなった世代は自動的に削除されます。

まあ、 バックアップツール購入して頑張って設定すれば同様のことはできると思いますが、 PCにエージェントインストールするだけで、 あとはほぼよきに計らってくれ、 操作が必要な場合も直感的にわかりやすいGUIでできるので、 家庭内(特に家族共用マシン)ではありがたかったです。

HDD故障時の入れ替えも、 不調のHDDをWHS上で切り離し、引っこ抜いて、新しいのをがっこんと突っ込み、WHSに追加するだけです。 いや、こう書くとふつうのサーバーのメンテと同じにしか見えないけど、 細かい確認とか設定とか不要で、 ボタン二つ三つ押すだけでなんとかしてくれます。 これ、RAIDではなく、Drive Extenderという技術でした。 コンシューマー向けにはRAIDは適さないという考えだったようです。

WHSはアドインで機能拡張できますが、 うちではServiio(メディアサーバー)ぐらいしか入れてなかったな。

日本でWHSを使っている方も多くいたようで、 何か問題があっても検索すれば日本語で情報を得られることがほとんどでした。 特にお世話になったのが、 薩摩藩中仙道蕨宿の人のサイトで、 必要な情報は大体ここからたどることができました。 ありがとうございました。 ちょうど「Windows Home Server 2011サポート終了。さようならWindows Home Server 」というエントリを書かれていますね。

終焉

というわけで、 我が家では5年以上にわたり便利にWHSを使い続けていました。 しかし、 WHS 2011のリリースが遅れ、 WHS 2011からDrive Extender機能が落とされることになり、 なにか微妙な雲行きを感じる中、 2012年7月のWindows Server 2012のエディション発表時に、 以降WHSの提供が無いことが明らかになりました。 つまり、WHS 2011でWHSはおしまい。

その一方、 初代WHSのサポート終了が2013年1月8日にせまり、 うちでも今後どうするか考えなければならなくなりました。 WHS 2011への移行も考えましたが、以下の点から断念。

  • WHS 2011はx64のみの提供で現行のハードで動かせないこと。
  • Drive Extender機能が無くなり、HDD障害に対する考え方を考え直さなければならないこと。
  • 移行したとしても、その後は無いしなあ。

結局、 サポート切れの後もしばらくしつこく初代WHSを使っていましたが、 一台のHDDが不調になった2014年5月にQNAPへ移行しました。

ハード(ProLiant)は予備としてしばらく残していましたが、 先日、PCリサイクルに出しました。 法人向け機種だったので無料リサイクルの対象外でした。 PCを無料で引き取ってくれるところもありますが、 何かこう、最後まで手続きして終わらせたい気分になってたので、 リサイクル代を払ってHPにマシンを返送しました。

今後

今の見通しでは、 ホームサーバー的な機能はクラウドから直接提供されるようになるだろう、 ということになるのかな。 面倒見なければならないデバイスは、 モバイルの比率が高くなりそうだし。

QNAPに移行する際も、 全面的にクラウドストレージを使うことを考えましたが、 結局動画とPCバックアップデータのサイズがネックになり、 あきらめました。 写真ならば容量無制限に保存できるサービスがあったりしますが、 動画とかはさすがにねえ。 じゃあ、テラバイト級のクラウドストレージを自力で確保するか、 と考えるとまだそれなりの料金がかかるし。

で、QNAPにしてよかったかと言えば、 ファイルサーバーとしては十分ですが、 PCのバックアップはWHSほどお手軽で無いので、 「確実にバックアップとる度」は低下しています。 まあ、これはQNAPのせいではなく、 わたくしの心がけの問題ではあるのですが。

そんなこんなで、 家庭LAN内の面倒をうまいことみてくれつつ、 背後のクラウドとええ感じで同期してくれるようなサーバーがいてほしいのです。 今時の家庭/SOHO向けのNASはそういう部分にも対応しつつありますが、 Windowsの面倒を特に丁寧に見てくれるわけでもないので、 WHSが続いていてくれてたらなあ、などと思うのでした。