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2016年9月 4日 (日)

シアトルの宇和島屋とわたくし

この夏、八幡浜へ帰省して(「帰省メモ:宇和海と八幡浜のこと」)、 ちょっと思い出したことがあったので書き留めてみます。 シアトルにある宇和島屋というスーパーの話。 大した話じゃないけど。

2000年代、開発していたソフトウェアの関係で、私はしばしばMicrosoft本社に出張に行ってました。 Microsoft本社はシアトル郊外のレッドモンドにあります。 最初の出張は確か直前に同時多発テロが発生し、 会社の渡航中止命令が出てキャンセルになった覚えがあるから、 あれはその翌年だったかなあ。 初めてMicrosoftキャンパスに行き、 近くに取ったホテルの周りを散歩していたら、 交差点の角にUwajimaya(宇和島屋)というスーパーがありました。 宇和島といえば私の生まれた八幡浜の南にある町で、 私の原点である「急行うわじま」の名前の由来の町です。

何やこれは、と思って入ってみたところ、 まあ普通のスーパーでした。 醤油とかお菓子とかで日本物の品ぞろえがありました。 あと、小さな日本グッズコーナーがあったような気がする。

ホテルへ帰った後、WebでUwajimayaのページを見てみました。 本店はシアトルにあり、私が行ったのはベルビュー店のようです。 会社の歴史を見てみると、 予期した通り日系の人が開いた店でしたが、 その創業者(森口富士松)は八幡浜生まれの人でした。

The Whole Story (Uwajimaya)

単身レッドモンドにやってきて、 「あんたらの言うてることと実際の動きが違うやんけー」とかカタコト英語でやりとりして、 きっついなーとか思いながら歩いていて出くわしたものが同じ町生まれの人が異郷に開いた店で、 「縁やのう」と思ったのでした。 まあ、それだけの話なんですけどね。

八幡浜は今でこそ過疎化が進む地方都市ですが、 商業が盛んだった時期があるようです。 思い出してみれば、 祖父母の世代には結構ハイカラな人が多かったような。 城下町だった大洲や宇和島と比べて、 八幡浜はもともと漁港だったせいか、 さばけて外向きな気風があったように思います。

祖父の姉もシアトルに移住していました。 戦中、収容所に入れられて戦後日本に引き上げてきました。 この人もハイカラな人でしたが、 収容所の話は一切しなかったといいます。 上記の宇和島屋の歴史にも収容所のことがさらりと書かれてますね。 色々歴史あり。

最初のレッドモンド出張後、 しばらくして宇和島屋の創業者の奥さん(Sadakoさん)が亡くなったという知らせを何かで見かけました。 上記の歴史によればこれは2002年夏とのことなので、 やはりあれは2002年前半かな。 八幡浜世代が生きている間にその土地に行ったのかと思い、 ちょっとした感慨をもった覚えがあります。 いや、まったく面識とかないのですが。

これを書くにあたってちょっと検索してみたら、 今は日本語のWikipediaにも項目ができていました。 これを読むと、結構有名なのか。

宇和島屋 (Wikipedia)

あと、私が行ったベルビュー店は移転したのかな。 今検索したら、ベルビュー店はベルビューのダウンタウン近くになっているけど、 私が行ったときはMicrosoftキャンパスの少し南にあった。

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